2018年1月22日月曜日

マネーの歴史と仮想通貨 「21世紀の貨幣論」読書感想

「21世紀の貨幣論」ってのを読んでとても面白かったので、感想文というか雑感です。「21世紀の貨幣論」には仮想通貨に関することは書いていなかったので、本を読んで仮想通貨に関して考えてみました。

政府の発行する法定通貨は発行量が恣意的に決められているので信用ならない、仮想通貨万歳というのを見かけたりするのですが、これは必ずしも正しくないようですね。

まず、法定通貨の流通量を見るにはいくつかの指標があります。いわゆるマネーサプライなんですが、M1、M2、M3といくつか種類があって、すでにこの時点で、政府や中央銀行だけではなく銀行の発行する証券や、流動性の高い金融商品もマネーサプライと定義されていたりします。

つまり、いわゆるマネーの供給は、政府や中央銀行だけではなく、民間の銀行等も行っているということですね。いわゆる銀行の信用創造みたいなもので、民間でもマネーが創られて、社会に供給されていますね。

さらに、もっと言えば、1970年アイルランドで銀行が閉鎖されたときに何が起こったかというと、一般の人が小切手を発行してそれが代替貨幣として流通したようですね。しかも、その間の経済発展の状況をそんなに悪くもなかったようです。小切手は、半年後銀行が再開されたときに清算されたようです。2002年のアルゼンチンの通貨危機でも、民間の通貨が発行されて流通したようですね。

つまり、マネー自体やマネーに準ずるものは必要に応じていろんな人が発行しているということですね。マネーを支配しているのは、中央管理者ではなく、経済コミュニティに参加している人自身であるみたいな感じの話でした。マネーは譲渡することが可能な信用(債権や債務)であるとのことです。

だから、貴金属による担保も実は必要ないし、法定通貨ができるまえから、譲渡可能な信用を社会技術として、高度な経済は存在していたといった話もありました。


で、ここからは本には載ってなかった仮想通貨の話なんですが、おそらく、仮想通貨を信奉する人たちの経済コミュニティが発生すれば、仮想通貨自体をマネーとする仮想通貨信奉者のユートピアが生まれるかもしれないとは思うんですが、そこで問題になるのは仮想通貨の発行上限なのかなと。経済コミュニティに参加する人が増えても、通貨自体の量が増えないと、現実の世界ではデフレや恐慌、果てには戦争が起こったりしていましたから、このようなことが仮想通貨のユートピアでも起こりえるんじゃないかと。

もちろん、通貨自体はコミュニティの参加者自体が発行できる場合もありますので、仮想通貨の銀行や、仮想通貨を担保とした小切手などで、上手く調整されるかもしれないですね。あとは、ハードフォークや草コイン、種々のICOが生まれるのも、足りないマネーを生み出す社会技術なのかもしれないですね。

仮想通貨をマネーとする経済圏が生まれれば、仮想通貨の信奉者の方々には勝利なのかもしれませんが、そこまでもそこからも道のりは大変そうですね。わざわざ仮想通貨使わなくてもというのが普通の人の感想かもしれないですね。単なるブームやバブルで終わるのか、仮想通貨をマネーとした経済コミュニティが生まれてくるのか。どうでしょうね。

マネーとはなにか、それはわれわれがどう行動するかに掛かっているといったのがこの本の結論であります。そこに至る考察がとても面白いです。


中国と韓国と仮想通貨(追記)
仮想通貨の信奉者で、専門家みたいな人が、中国はマイニングは規制しないと言っていたみたいですが、規制されたみたいですね。

白い猫も黒い猫もネズミをとる猫はよい猫と言われていた中国ですが、仮想通貨にはとても厳しいようですね。歴史的には中華王朝は貨幣を支配の道具として使っていたようですから、仮想通貨を認めるコミュニティに自由を与えるのは、共産党王朝としては許せないんですかね。単純に電力の補助金がもったいないとか、空気をきれいにしたいというよりも、仮想通貨に対する危機感があるかもしれないですね。元の信用の弱さの裏返しかもしれないですね。

韓国は事大主義なので中国に準ずるんじゃないでしょうか。ウォンの信用もなかなか根付かないですし。

あとは、海外送金や脱税を嫌ってでしょうかね。







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